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その他伝統工芸品の着物

紬や友禅、上布の他にも伝統工芸品の着物はいろいろあります。代表的な織物や染物をピックアップしてご紹介します。

その他の伝統工芸品の着物を紹介!

紬や友禅、上布などが日本の着物の高級品として特に有名ですが、他にも高級品とされる伝統工芸の織物、染物があります。代表的なものを、ここで一気にご紹介したいと思います。

辻が花

辻が花は絞り染めの技法で、桃山〜江戸時代初期に使われたもの。縫い締め絞りや竹皮絞りなどの技法を用いて、複数の色を染め分けすることができます。安土桃山時代の豪華な装飾品を演出した技法でした。

染物と言えば辻が花と言われるほど普及していましたが、友禅が登場してからは使われることがなくなりました。そのため、幻の染物と呼ばれています。

辻が花の歴史

辻が花は、1528〜1530年ごろ作られたものの記録が最古です。古い技法にも関わらず、様々な技法を取り入れていることが伺えます。1600年前後には技術がさらに発達して、細部まで意匠を凝らした作品が作られました。江戸中期に廃れるまで、愛され続けた技法です。

辻が花の買取価格相場

作家ものでなくても、数万円の値がつきます。作家ものなら十万円を超えることも。

西陣織

西陣織は、京都の西陣で生産される織物の総称です。先染めの織物で、12品種が伝統工芸品として認められています。現在でもその技術は受け継がれ、ベテランから若手作家まで、幅広く生産されています。

西陣織の歴史

西陣織は、古墳時代に住み着いた渡来人が持ち込んだ技術が元になっていると考えられています。平安京への遷都の後、工人たちが集まって高級織物を生産するようになりました。

室町時代の応仁の乱で一旦工人たちは京都を離れましたが、戦乱が収まった後は再び京都に戻って織物を生産しました。この時、西軍の本陣跡で織物業を再開したことから、「西陣織」と呼ばれるようになったのです。

江戸時代半ば以降は、需要が減り、京都の街の勢いも弱まりました。しかし明治時代に入り、文明開化の波にのって近代化に成功し、現在の洗練されたデザインへと至ります。

西陣織の買取価格相場

西陣織の帯は8,000〜20,000円くらい。希少なものやアンティークであれば、数十万円になることも。

小千谷縮

小千谷縮は、新潟県小千谷市を中心にして生産される麻の織物。越後上布と並んで、国の重要無形文化財、ユネスコ無形文化遺産に指定されています。

堀次郎将俊が、絹織物の明石縮の技法を越後上布に適用して改良したものが小千谷縮。農民の副業として、冬に生産されていました。江戸時代の後半には、非常に精緻な作りも可能になりました。

小千谷縮の歴史

もともと魚沼地方の麻布は、自給用の布でした。上述のように堀が縮布へと改良をしたことから、自給用だけでなく商品として展開されるようになり、最盛期は年間で20万反も生産されていたとされています。

小千谷縮の買取価格相場

状態の良いものでは20,000円から、希少価値の高いものはさらに高額になります。購入額の5分の1〜10分の1が目安です。

黄八丈

八丈島で伝統的に生産されてきた、草木染めの絹織物が黄八丈です。島の植物の煮汁を使って、黄色や鳶色、黒に染めた糸を織って作ります。染めも織りも強固なので、ずっと色褪せないと言われています。

特に、八丈刈安と呼ばれる植物の煮汁で明るい黄色に染めたものは、伝統的工芸品として国に指定されています。

八丈島以外にも、ハマナスから作った染料で染める秋田黄八丈というものがあります。

黄八丈の歴史

古くは、本居宣長の「玉勝間」という著作に黄八丈が登場します。その品質から、年一回租税として献上されるようになりました。この黄八丈を着ることができたのは、将軍や大名などの上流階級の人々だけだったと言われています。

1977年に国の伝統的工芸品に、1984年には東京都の文化財に指定されました。現在では年間700反ほどしか生産できないのですが、需要に生産が追いつかず、常に予約が絶えないそうです。

黄八丈の買取価格相場

状態のいいものなら、だいたい2万円ほどになるようです。ちなみに、綾織のものは買取価格が高くなります。

吉野間道

吉野間道は、江戸の茶人たちに好まれた織物です。お茶の道具を入れる名物裂に用いられていました。古くに大陸からトライしたもので、穏やかで落ち着いた光沢があります。フォーマルには使いませんが、セミフォーマルとして着ることができます。

草木染めの落ち着いた色合いと、独特の縞の模様は非常に完成度が高く、モダンだと評されています。

吉野間道の歴史

もともとは大陸から伝わってきたもので、日本で発明されたものではありませんでした。京都の豪商と出会った灰屋紹益が、三大名妓とされる吉野太夫に送ったことから吉野間道と呼ばれるようになりました。

いつの間にか消えてしまった吉野間道ですが、染織家である柳悦孝(柳宗悦の甥)らが復元を試み、現在では藤山千春が受け継ぎました。現在でも、吉野間道の生地が織り上がるのを待つ人は多いそうです。

吉野間道の買取価格相場

手放す人がほとんどいないので、買取の事例は少ないようです。買取に出すとすれば、90,000〜120,000円ほどの相場になります。

見積合計金額が高かったお店BEST3